首里城とは?
「首里城」と聞いて、火災のニュースを思い出す人も多いのではないでしょうか…
そもそも首里城とは、1429年から1879年まで琉球王国の国王が居住していた城のことで、14世紀末頃までには築かれていたといわれています。
地形を活用して内郭・外郭に分けて築かれた首里城。琉球石灰岩の切石で築かれた城壁の高さは6〜15m、厚さは3mにもなります。
王城は、琉球の政治・外交・文化の中心として栄えていたそうです。
実は、私は沖縄に何度か行ったことがありますが、首里城へ行ったことはなく、火災の前に行っておけばよかった…と後悔していたのでした。
そんな中、2021年10月に長かった緊急事態宣言も開けたのを機に、遂に首里城へ行ってみることに!
そこで、今回は現在の首里城の様子をお伝えしていきますが見どころが満載なので、2回に分けて紹介していきます。
今回使用させていただいたレンタカーは、こちらから予約しました↓

いざ首里城公園へ
那覇空港から車でおよそ20分!首里城公園に到着しました〜♪
駐車場から地上へ出る建物内に、パンフレットを見つけました。

パンフレットには首里城の巡り方が複数あったのですが、初めて訪れる場所なので、一番オーソドックスそうな、手前にあったパンフレットをもらって、参考にしながら巡ってみることにしました。

守礼門から下之御庭まで
「火災の影響で何も残ってないのかな…?」そんな心配を抱えつつ足を運ぶと、「守礼門」がお出迎え!

鮮やかな朱色の門と、沖縄の空が、美しさを引き立てあっています。
「守礼」とは「礼節を守る」という意味で、「琉球は礼節を重んずる国である」という意味だそう。
守礼門を進んでいくと、世界遺産の「園比屋武御嶽 石門」がありました↓

王府の祈願所で、石門は神社の拝殿にあたり、後ろの森は本殿にあたるのだそう…

↑こちらは首里城の城郭内へ入る第一の正門である「歓会門」
「歓会」とは「歓迎する」という意味で、門の両側に鎮座する獅子「シーサー」は、魔除けの意味をもっているそうです。

↑石段を上った場所にある門は「瑞泉門」
瑞泉とは「立派なめでたい泉」という意味があり、石段途中の右手に泉があります。
龍の口から水が湧き出ていて「龍樋」と呼ばれ、王宮の飲水として使用されていました。

石段をのぼり、瑞泉門を通って進んでいくと、「漏刻門」がご覧の姿…

それまで通ってきた立派な門に、火災のあったことを忘れかけていましたが、漏刻門の姿に「火災の影響?」と思い近づいていったところ、漆の塗替え作業をしているとのこと。
漏刻とは水時計のことで、この門の上に櫓があり、水で時間をはかる水槽が設置されていたそうです。
門を過ぎると広場があり「日影台」に日時計がありました↓

日時計で正午とその前後の時間をはかり、漏刻で詳しい時間をはかっていたのだそうです。
日時計の側にある供屋

内部には「世界の架け橋」という意味をもつ「万国津梁の鐘」があります。

首里城正殿の前にかけられていた銅鐘で、「琉球王国は南海の美しい国であり、朝鮮、中国と日本との間にあって、船を万国の架け橋とし、貿易によって栄える国である」という趣旨の銘文が刻まれているそうです。

↑こちらは第四の門である「広福門」
「広福」とは、広く福を行き渡らせるという意味があり、なんとも縁起が良さそう!
広福門を抜けると下の庭を意味する「下之御庭」があり、首里城正殿に立っていた大龍柱の「補修展示室」がありました。

↑こちらが火災の影響を受けながらも奇跡的に立ってを耐えた「大龍柱」
展示室の隣にはなんだか不思議な空間が…

↑こちらは「首里森御嶽」といい、神が作られた聖地といわれています。
ちなみに首里森とは首里城の別称、御嶽とは沖縄の聖地や拝所のことをいい、石積内の植物はガジュマルやクロツグだそうです。
奉神門・正殿 ※有料区域
首里森御嶽の隣に「奉神門」があります↓

奉神とは「神をうやまう」という意味があるそう。
奉神門前には天水甕という甕が、少なくとも4基、地中に埋まるように設置されていたのだとか…
奉神門の先は有料エリアになります。

奉神門を進むと正殿が現れるところですが、2019年の火災によりその姿はありませんでした。

現在の様子はこちら↓

正殿側からみた奉神門↓

正殿は国王が祭祀や政治を行った場で、創建から沖縄戦までに4回焼失されているのだそう。

正殿跡では現在このようなかたちで展示されています↑↓

現在再建がすすめられ、2026年完成を目指しているそうです。

繰り返し焼失してきた正殿。2021年の火災の原因は不明だそうですが、再建している姿に逞しさを感じました。

再開したら、今後は焼失することなく後世に残っていきますように…
御内原おうちばらエリア(東アザナまで)※有料区域
正殿裏側は、国王の親族や女官の生活の場だったそうです。

↑こちらは「女官居室」
御内原で勤める女官たちの居室で、男性の立ち入ることのできない空間でした。現在、建物内では「ミュージアムショップ球陽」が営業していました。
女官居室の奥に「湯屋」があります↓

この湯屋は女官たちの浴室で、水を溜め、炭で薪を燃やして湯を沸かしていた可能性があるそうです。

↑こちらは「世誇殿」皇女の居室として使われていた場所であり、国王が死去した際に新しい国王の即位の儀式を行う場でもあったそうです。現在は休憩室になっていて、首里城ムービーが上映していました。
女官居室・世誇殿のあるこちらのエリアに「復興展示室」がありました。

復興展示室内の様子↑

さて、本殿跡を背にし、「東のアザナ」へと進んでいきましょう。

右手には「菊畑・小菊畑」があり、国王一家や女官の生活に彩りを添えていたそうです。

↑こちらは「白銀門」
この門から東のアザナの間に「神廟殿」があり、国王と女官専用の門であり、他の人々は脇門を使用したそうです。

白銀門をくぐり、長い階段を上ると「東のアザナ」がありました。
↓東のアザナから見た景色

景色を堪能したら東のアザナから、世誇殿の方へ戻っていきましょう。

↑こちらは「井戸状貯水遺構」で、雨水を貯めていました。内部には枝分かれしたトンネル状の空洞が広がっています。

↑「御内原ノマモノ内ノ御嶽」

↑御内原に植えられていた「九年母」

↑近づくと身がなっているのがわかります。ちなみに九年母とは、シークヮサーに代表される柑橘系果実のことだそうです。
「世誇殿」まで戻ってきたら、門を通って外へ出ます。
↓「右掖門」国王の親族や、女官の生活の場であった正殿裏側へと通じる門です。

「淑順門」は、国王やその家族が暮らす御内原への表門↓

淑順門を表から見るとこのような感じになっています↓

まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は守礼門から東のアザナまでのエリアを紹介いたしました。
600年ほど前には、この場で生活されていたと思うとなんとも感慨深いですね。
今回紹介しきれなかったエリアは、後編にてご紹介いたしますので、楽しみにしていてくださいね!
アクセス・基本情報
首里城公園 | |
住 所 | 〒903−0815 沖縄県那覇市首里金城町1ー2 |
電話番号 | 098-886-2020 |
営業時間 | 8:30〜18:00 |



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