飛鳥山公園【旧渋沢庭園】北区

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旧渋沢庭園を散策しよう

2024年から、新一万円札の顔になる「渋沢栄一」

500社以上の経営を手掛け、近代日本経済の父とも呼ばれていますね!

2021年2月中旬からはNHK大河ドラマ「青天を衝け」も始まりました。

そんな渋沢栄一の過ごした庭園が、東京都北区の飛鳥山公園内にあるのでご紹介します。

アクセス

住 所〒114-0024 東京都北区西ケ原2丁目16−1
交通機関JR南北線・京浜東北線「王子駅」 徒歩8分
都電荒川線「飛鳥山駅」徒歩5分  

飛鳥山公園ってどんなところ?

飛鳥山公園は、江戸享保期に行楽地として整備された東京都北区にある区立公園で、桜の名所としても知られています。

大きなお城の遊具のある児童エリアは、いつも楽しそうな子どもたちの声で賑わっています。

広場内に都電や蒸気機関車が展示されていて、実際に中に入ることができるんですよ!

こちらの都電は、実際に昭和53年まで活躍していた都電荒川線の車両。

そして、こちらの蒸気機関車(D51853)は、昭和18年に製造され、吹田・梅小路・姫路・長岡・酒田の機関区箇所に配属され活躍していたのだとか…

 

児童エリアを進んでいくと広場があります。芝生の上でのんびりくつろぐことができたり、新幹線や特急の見えるスポットもあるんですよ!

こちらは広場横にある直径31mの古墳。古墳時代後期の胴張型横穴式石室で、石室内からは太刀や刀子の破片などが出土されました。また、公園内には他にも古墳の周溝が確認されているそうです。

旧渋沢庭園

旧渋沢庭園とは、渋沢栄一が明治12年(1879)から昭和6年(1931)まで過ごした「曖依村荘」(あいいそんそう)と呼ばれる邸宅の跡地になります。

初めは別荘として使用していましたが、後に本邸として過ごしたこちらの庭園には、日本館・西洋館・本館など様々な建物がありましたが、昭和20年(1945)の空襲で多くを消失してしまったそうです。そんな中「晩香廬」と「青淵文庫」は空襲を免れ、現在も見学をすることができます。

旧渋沢庭園は、児童エリアを超え、広場を進んだ先にあります。

門を入り、右手の道を進んでいくと「渋沢栄一像」があります。

渋沢栄一像の前にある建物が「晩香廬」です。

バンガローから晩香廬(ばんこうろ)という名になったこちらの小亭は、現清水建設の清水満之助が渋沢栄一の喜寿を祝い贈ったものです。

門を入って正面にある建物は「青淵文庫」

渋沢栄一の80歳のお祝いと、子爵の昇爵祝いに、竜門社(門下生の団体)より寄贈されたもの。青淵(せいえん)は、渋沢栄一の雅号から名付けられたそうです。

渋沢栄一の収集した論語関係の書籍の収蔵と閲覧を目的とされた建物ですが、竣工直前に起こった関東大震災により書籍の多くを焼失してしまったため、国内外からの賓客の際に使用されることになったそうです。蒋介石やインドの詩人ダゴール、アメリカ大統領が訪れたこともあるそうですよ!

こちらの色鮮やかなステンドグラスには様々な祝意が込められているんです。竜門社を表す竜もデザインされていますが、見つかりましたか?

こちらは青淵文庫前に展示されているこちらの物は…

左)関東大震災により被害を受けた、台所北側出入口の「まぐさ」

右)青淵文庫創建時の露台(テラス)基礎の一部

裏手に回るとこのようになっています。建物の丸い部分の内部は、螺旋階段になっているんですよ!

青淵文庫の前を進んでいくと芝の庭が広がり、その脇に「山形亭跡」があります。

帽子のような山の形をした屋根のあったことから「山形亭」と名付けられましたが、六角形の土台をしていたことから「六角堂」とも呼ばれた東屋です。

正面に見える新しい建物は「おみやげ館」になります。

山形亭跡の階段を実際に登ってみると、六角形になっていました。

東側には芝の庭と青淵文庫が見渡せます。

そして東南の方角には晩香廬が見えました。

北西を見るとこのような感じで、奥には「兜稲荷社跡」や「無心庵跡」があるのがわかります。

それでは、「兜稲荷社跡」と「無心庵跡」の方へ行ってみましょう!

芝の庭を出ると右手に鳥居がありました。

こちらが「兜稲荷社跡」

珍しい洋風の社で、日本橋兜町の第一銀行構内にあったのですが、明治30年(1897)にこちらへ移築されました。破損等により昭和41年(1966)に取り壊されたものの、基壇部分や灯籠などはそのまま残されています。

お稲荷さまもマスクをしてコロナ対策をしていらっしゃいましたよ。

兜稲荷社の奥へ足を進めていくと「茶席待合跡」がありました。

案内板に「茶席『無心庵』への途中にあった待合で、腰を下ろすだけの簡素のものだが、気持ちを落ち着け、茶席へ誘う重要な役割を担っていた。」ということが書いてあります。

この場で心を落ち着かせてから茶席へと向かっていったのですね〜。

「茶席待合跡」の先へ足を進めていくと「無心庵跡」がありました。

案内板には明治32年(1899)に京都裏千家の茶室を参考にして立てられた茶席で、渋沢栄一が徳川慶喜の名誉回復を図るために慶喜と伊藤博文等をこの茶室で対面させたこともあると書かれています。

また、無心庵の東側の崖の斜面に「邀月台」(月見台)があり、渋沢栄一が誘致した王子製紙工場や国府台の台地、そして筑波山を望むこともできたそうです。

旧渋沢庭園をぐるっとご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

庭園の入場は無料ですが、季節によって入園時間が変わるので気をつけてくださいね!

(晩香廬と青淵文庫内の見学をしたい場合は入館料がかかります。)

基本情報

旧渋沢庭園
開演時間3/1〜11/30 9:00〜16:30
12/1〜2月末 9:00〜16:00
入園料無 料
問い合わせ北区道路公園課
03-3908-9275
晩香廬・青淵文庫
公開時間10:00-17:00(最終入館16:30)
入館料一般300円 / 小・中・高100円
問い合わせ渋沢史料館
03-3910-0005

※2021年3月時点

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